Columnコラム

第3回 続けていればまたどこかで会えるから~田中恵太郎さんの場合~
ラクロスの試合を支える存在――それが審判員です。学生時代に笛を吹き始めても、社会人になると仕事や生活の変化により、多くの人が審判活動を続けることを難しく感じます。しかし一方で、社会人になってからもフィールドに立ち続ける審判員がいます。この企画ではそんな審判員たちにインタビューし、「なぜ社会人になっても審判を続けるのか」、そして「審判の楽しみ方」を掘り下げていこうと思います(全4回)。
田中恵太郎さんは、現在は関西地区で審判員(1級)をし、2級審判員の指導、さらには2級に昇級したい3級審判員の指導をしています。審判歴は24年。転勤により北海道以外の6地区で笛を吹いてきました。全国大会も国際大会も経験済み。なんだかすごいキャリアの持ち主です。それなのに、インタビュー開始10分で既に10年前から知り合いだと錯覚してしまう温かいお人柄。付いて行きたくなる大将肌。田中さんはなぜこれまで審判員を続けてきたのでしょうか。
どこかの試合会場でまた会えたら嬉しい
写真はすべて2026年1月31日に開催されたA1 ALL-STAR GAMES 2025での様子です
「卒業しても審判員を続けてほしいんだよね。そしたら、またどこかの試合会場で会えるじゃない」。
関西地区の大学でチームスタッフをしていた女子審判員(男子競技)が、卒業後、関西から離れるのでもう審判員を辞めると言ったとき、田中恵太郎さんが彼女に掛けた言葉です。
「2級で続けるのがしんどいなら3級に落としてもいいから、続けることを考えてよ、と言いました。続けてくれたら、またどこかの試合会場で会える。会えるのが嬉しいし、楽しいと思う人間なんですよね、僕は」。
そんなこと言われたら続けちゃいますよね、と思って聞いていたら、その審判員は卒業後も続けてくれたそう。
大学4年間一生懸命打ち込んだラクロスなんだからもったいない
「また会いたい」という言葉は最強だなと思えます。こんなに人を強く引き付ける言葉ないんじゃないでしょうか。
「僕が常日頃言っていることなんです。大学4年間、プレーヤーもスタッフも一生懸命ラクロスに打ち込んだのに、卒業したら関わりなしなんてもったいないと思うんです。だから、僕は何かしらラクロスに関わっていてほしいと思うんです。その手段の一つが、彼女の場合は審判だった。関わり方は本当はなんでもよくて、例えば、審判しないにしても母校の応援に年に一試合は行くとか、なんでもいいからラクロスに関わってほしいと思うんですよね」。
残すは北海道地区だけ
左が田中恵太郎さん
田中さんはこれまで北海道地区以外の6地区で審判をしてきました。
審判資格を取った九州地区(九州大学卒業)を皮切りに、就職で関東、転勤で中四国、東北、東海、そして関東に戻って、いま関西。その関西地区で笛を吹くようになって5年が経ちました。
社会人になっても審判員を続けている田中さんに、帰属意識について伺いました。
「(転勤するので)地区に対する帰属意識はないんですが、『審判員』って言うところに対する帰属意識はあります」。
全国各地に『審判員』がいるとは言え、初めましての地区で初めましての方々と審判をするというのは、緊張するものではないでしょうか。
「僕は九州地区事務局次長をしていたことがあるので(2002年~2005年)、他地区とのつながりがもともとあったというのはあります。異動前に知り合った人がどこにでもいるという状況だったから、特殊かもしれませんが」
どこに行っても飲んでワイワイができるタイプと自分のことを言う田中さんは、きっと事務局次長をしていなくても、どこへ行っても楽しく審判をしていたのだろうなと思えます。
「できるんじゃない?」から始まった審判員
審判員を24年間続けている田中さんですが、そもそもなぜ審判資格を取ろうと思ったのでしょうか。
「まだ審判資格も持っていない大学2年生のときに(2000年3月ごろ)、一学年上の2級の先輩から、『(練習試合の審判)できるんじゃない?』と言われて、『できると思います』『じゃあ、やってみる?』『はい』という流れで審判をしたのが最初でした。当時、5月と11月に審判試験があって、僕は大学3年生の5月に試験を受けて審判資格を取りました。できる、と思ったから審判員になったという感じです」。
その2年後、田中さんは2級へと昇級します。
「九州大学を卒業するタイミングで2級に上がったのですが、当時の九州地区は1級審判員がいなかったので、2級になったらもう見られる立場、教える立場になったんです」。
田中さんは、「育成での貢献」を選出理由に2024年度審判功労賞を受賞されています。指導の立場に就かれたのは最近の話ではなく、大学院生のときからで、既に22年も経っていました。
海外の審判員はどこへ行っても楽しそう
長年、笛を吹き、育成に携わって来た田中さんですから、多くの若い審判員へ影響を与えてきたと思われます。逆に、ご自身が「この人からいい影響を受けたな」と思える審判員はいるのでしょうか。
「審判員として関わった人みんなから影響を受けてきていると思っています。年齢は関係ないですね。あと、誰というのではないですが、海外の審判員さんですかね。彼らは、どこに行っても楽しそうなんですよね。いまも自分が続けているというマインド的な部分はそこだと思いますね。どこへ行っても楽しそうにしているというマインド」。
田中さんは若い審判員にも世界に出たほうがいいと思っています。
「機会があれば行った方がいいという話は常にしています。本当に国内ではありえないことが起こるんですよ。簡単に言うと乱闘。そこで押す? とか、そこで叩く? とか、国内で審判するのとは感覚的に全然違うことが起こります」。
田中さんが入った試合で海外選手同士が乱闘することはなかったということですが、対戦相手のベンチを挑発する選手はいたそうです。
「2006年か2008年のどちらかの国際大会 (大会名はプロフィール欄参照) で、ニュージーランドの選手がグランドボールを追いかけたら、相手チームのベンチのところで出ちゃったんですね。その選手はものすごく興奮して、スティックを相手ベンチに向けて大きな声で挑発し始めました。僕は『わあ…、こんなことをやるんだぁ』と驚いて見ていたのですが、一緒に入っていたオーストラリアの審判員が冷静に『はい、おまえ退場な』と処置したので、慣れてんだなぁ、と思いました。慣れているということは、挑発も乱闘も海外ではよくあることなんだなと思いました」。
よくあることだなんて、スポーツマンシップに則った行いをする国内リーグ戦の選手たちが愛おしくなります。それにしても、日本代表選手は、そんな血の気の多い選手と戦わないといけないんですね。
「そうです、そうです。日本国内ではできない経験ができるので、選手も審判員も海外は絶対行ったほうがいいと思います」。
なお、国際試合には1級が優先的に派遣されるとのこと。興奮状態の海外選手に対して、自分もクールなジャッジをキメてみたいという2級審判員の方がいらっしゃいましたら是非とも1級昇級試験を受けてください。
審判員コミュニティがあると生活に充実感が出る
社会人になっても審判員を続けてほしい、という思いから始まった当コーナーですが、田中さんが続けてきた理由は何なのでしょうか。
「僕みたいに地元じゃないところへ就職すると、毎日が家と会社の往復だけになってしまいます。会社の人間以外と話さない。そこにラクロスの審判というコミュニティがあると…コミュニティはなんでもいいんです。選手ならクラブチームとか、とにかく家と会社以外のコミュニティがあると、生活に充実感が出る、というのが続ける理由です。僕自身、東京で馬車馬のように…」
ああ、仕事ばかりだったんですね。
「…審判をしてましたからね」
審判のほうだった。
「年間50試合吹いていました」
馬車馬ですね。
「そこからぽーんと四国に異動になり、会社以外に知り合いがいないなか、ラクロスの存在に助けられました。いまは関西ですが、今後また異動があるかもしれない。少々辺鄙なところへ行くかもしれませんが、どこへ行ってもラクロスがあるから心強く、どうにでもなるかなと思えます。海外転勤だったとしても同じです。海外にもラクロスがありますからね。まあ、海外だとないところもあるかもしれないけれど、異動への心持が前向きになり、どこへ行っても大丈夫だよねって思えるんです」
子どもとの時間を優先した時期もある
異動に対して前向きになれるほどの審判員コミュニティですが、審判を続けるか続けないか、田中さんは迷ったことはないのでしょうか。
「続ける・続けないで迷ったことはないです。ただ、1級を継続するかどうかでは迷ったことがあります。1級を継続するには内規で毎年『10試合以上』と決められていて、2級と3級の『2試合以上』と比べると厳しくなるんです。それで迷った時期があります。2015年に異動で関東に戻ったことがターニングポイントとなりました。
一つは自分の体力。それまではトレーニングしなくても体が動いていたんですが、気候的にもむちゃくちゃ暑くなったこともあってか、これまでの蓄えでなんとかなっていた体力が、日々トレーニングをちゃんとしていないとしんどいと思うようになってきました。
もう一つが、子ども。長男と次男が成長したことと3人目が誕生したことで、子どもに費やす時間を増やす必要があったんですね。
男の子二人がサッカーをしていて、親がコーチをしなくちゃいけない町のクラブだったから、コーチをする時間も作りたかった。そのときに、1級を手放して2級になろうかと迷いました。
妻に相談したら、『せっかくだし1級を維持したら? 手放すのはもったいない』と言ってくれたので、体力や審判レベルに自分自身で疑問を持つことはありましたが、なんとか1級を維持してきました。朝6時前に家を出て、8時から練習試合の審判をして、11時半に帰宅して、15時からサッカーの練習というやりくりをしていました」。
ところが、田中さんが関西へ異動する前、長男が5年生、6年生となる2年間は、サッカーに専念しようと審判を休止していた時期があったそうです。
「休止している期間があったとしても、再開することで、長く(ラクロスに)関わるということを体現していると思っています」。
現在は、単身赴任で関西にいるため「土日、審判をやりたい放題です」と笑う田中さん。本当に審判を楽しんでいるのでした。
いろんなことに興味を持ってもらいたい
「ラクロスに関わるみなさんには、審判・運営・選手といったいろんなことに興味を持ってもらいたいなぁと思っています。いまは、選手なら選手に専念するのが主流で、だからこそ競技レベルが上がっているんだろうとは思うのですが、僕ら世代(1990年代に大学生だった)は、『自分たちの遊び場は自分たちで守ろうよ』と言って、選手も審判も運営もなんでもやった。いまの状態(選手は選手に専念)は僕から見ると物足りないんです。運営にも審判にも興味を持ってもらいたいと思っています」。
選手の強化と審判の強化は両輪の輪
田中さんは、チームスタッフが審判をし、選手が選手に専念することで競技レベルが上がっているのかもしれないという成果への理解を示しつつも、『選手』が審判をすることの必要性も感じています。
「僕は、プレーの経験がある人にも審判をしてもらいたいと思っています。選手が審判をすることは、日本ラクロス全体のレベルの引き上げにつながると思うんです。
日本代表選手の強化と審判員の強化は、両輪の輪でどっちが欠けてもだめなんじゃないかと思っています。全日本クラブ選手権に出るチームの選手が審判員もするようになったら、日本はもう一段階レベルが上がるんじゃないかなと思います」。
国際大会を経験している田中さんだからこそ生まれる強化への思い。そんな話をしながらも、「なんでもいいからラクロスを続けてほしい。またみんなに会いたいから」と言う田中さんは夏休みに会う親戚の叔父さんみたいに優しくて温かい。
田中さんを見ていると、「田中さんに会いたいから審判を続ける」が理由の一つにあっていいんじゃないかなと思えてきます。
【プロフィール】
名前:田中恵太郎さん
≪選手歴≫
- 1998年~2001年 九州大学 #1・MF
- 2005年 BIG RED(東日本支部・ファンリーグ)
≪審判員歴≫
- 2000年~ 審判員(3級)
- 2001年~ 審判員(2級)
- 2006年~ 審判員(1級)
≪海外派遣歴≫
- 2006年 第10回ILF男子ラクロス世界選手権大会(カナダ・ロンドン開催)
- 2008年 第6回ILF男子19歳以下世界選手権大会(カナダ・コキットラム開催)
ILF: International Lacrosse Federation (2008年までの「国際ラクロス連盟」の名称) - 2022年 World Lacrosse男子世界大会アジアパシフィック予選(韓国・済州島開催)
Photo by 日本ラクロス協会広報部 中村真澄
Text by 日本ラクロス協会広報部 岡村由紀子







