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日本ラクロスの発展に貢献いただいたJIM DARCANGELOさんへ追悼メッセージ|Dear Jim from JLA

1980年代後半、日本のラクロスの発展に貢献していただいた元全米代表の伝説的なラクロスプレーヤーのJIM DARCANGELOさん(ニックネーム:ダーキー)が328日(土)にお亡くなりになられました。
JLAへ訃報連絡をしてくださったドン・ジマーマン(元Johns Hopkins Lacrosse Head Coach で日本ラクロスの礎を築いた名コーチ)さんからのメッセージをご紹介をするとともに、追悼メッセージをお送りさせていただきます。

ドンジマーマンさんは、1987年に初来日し、日本のラクロスの創設に普及・強化に多大な貢献をしてくださった名指導者です。
そして、”Keep the fire burning”は、ジマーマンさんが日本の初期の学生達に言い続けてくれた言葉なのです。

<US Lacrosse MagazineでのJIM DARCANGELOさんへ追悼メッセージ>
https://www.uslaxmagazine.com/usa-insider/senior-men/hall-of-famer-and-lax-world-co-founder-jim-darcangelo-dies

JLAへ訃報連絡をしてくださったドン・ジマーマンさんからのメッセージ

日本のラクロスプレーヤーの皆様、ドン・ジマーマンです。

I wanted to share some sad news: Jim Darcangelo passed away yesterday. “Darky” was 67.
本日は皆様に悲しいニュースをお届けしなければなりません。ジム・ダーカンジェロ氏が67歳の生涯を終えられました。

When I think back to those early days of the JLA, those extraordinary years when we became friends through our common mission to develop lacrosse in Japan, Darky always comes to mind. He along with his business partner at Lax World, Lance Holden, played a huge role in providing the necessary equipment for the game to grow in your country. I can still see them delivering all those custom sticks to your players as you prepared to leave Johns Hopkins early in the morning following the first summer lacrosse camp held for the JLA in the United States.
あれは1990年前後の日本におけるラクロスの黎明期でした。日本のラクロスの成長のお手伝いをすることをまるで天命のように感じた我々は、そのことで強いきずなを感じる友人となりました。彼はLax World社のビジネスパートナー、ランス・ホールデン氏の協力も得て多くのラクロス器材を日本に寄贈してくれました。30年以上たった今でも、ホプキンス大構内で開かれたサマーキャンプに初めてやってきた日本の学生諸君の為に準備した特別なスティックを汗まみれで搬入の準備をしている彼らの姿がよみがえります。

Darky was one of the best lacrosse players ever and and an even better person. He will be sorely missed by all who had the privilege of calling him friend.
ダーキー(ジム)は最強のラクロスプレーヤーであったばかりでなく真の人格者でした。彼と友人となったすべての人々は決して彼とその思い出を忘れることは無いでしょう。

I hope you and your families are healthy and safe as the world combats this COVID 19 scourge.
世界がコロナの猛威との戦いの最中にありまますが、日本ラクロスコミュニティー一人ひとりの安全を切に祈念しています。

To Darky

Zim

JIM DARCANGELOさんへ追悼メッセージ


3年前、ボルチモアのレストランでダーキーとジママンと会ったのが彼との最後でした。20年ぶりの再会でしたが、彼のラクロスを愛するスタンスは相変わらずで、とても嬉しく感じたのを覚えています。
1980年代の後半、まだ日本ラクロスの黎明期、彼は来日してたくさんのクリニックを行ってくれました。3度のアメリカ代表を経験している彼のクリニックには「本物」の凄みを感じました。その反面、どんなプレイヤーにも真摯に接する態度や、いつも周囲を楽しくさせるような、どこかいたずらっ子のような立ち振る舞いにも好感が持てました。
一言でいえば、「ちゃめっけたっぷりラクロス大好きおじさん」。
いま、日本にもそんなラクロスプレイヤーが増えてきました。

ダーキー、
ラクロスの楽しさを教えてくれてありがとう。ゆっくり休んでください。

JLA強化部 副部長兼日本ラクロスアカデミー 代表
大久保宜浩

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