Columnコラム

コミュニティの外側から見た、日本ラクロスの現状とコレカラ

――日本ラクロス協会理事の安西です。今回は、部活動としてのラクロス、そして日本ラクロス協会の特徴について、ラクロス出身ではない、体育大学の教員という立場から見てこられた亀山先生にお話をお聞きしたいと思っています。

亀山:日本体育大学・児童スポーツ教育学部准教授の亀山と申します。3年前から、男女ラクロス部の部長を務めています。私自身はラクロスの経験がなく、部長就任時はほとんどラクロスについての知識もありませんでした。そこから、まずはラクロスという競技について知り、現在は部活の安全性やクラブの組織づくりなどの点で、男女両方のラクロス部に関わっています。

ラクロスを知ってからの時間が短いからこそ、客観的な立場でこの競技についてお話ししたいなと思います。

 

――よろしくお願いします。はじめに、亀山先生の専門はどういった分野ですか?

亀山:専攻はスポーツ社会学です。スポーツ社会学ではスポーツと社会のかかわりを広く見ていくのですが、私は「地域とスポーツ」「コミュニティスポーツ」に高い関心を寄せています。その中でも特に「災害とスポーツ」を研究テーマとしています。

このテーマを深めたいと思ったきかっけになったのが、2011311日に発災した東日本大震災です。家族や友人を探して石巻市内(宮城県)の避難所を訪れたのですが、その時に未曽有の大災害といわれる状況下にも関わらず、1つのボールをみんなで追いかける方々の姿が非常に印象的でした。また、避難後の健康状態の悪化を避けようと自発的にラジオ体操に取り組んでいた姿も忘れられません。物的な豊かさとは離れている運動・スポーツが、健康面はもちろんのこと、精神的な部分で人の心の拠り所や人と人とをつなぐ役割を果たしていたわけです。災害時には、それまでスポーツをしていたからといって安否確認につながるわけでもなく、お腹がいっぱいになるわけでもない。それでも「なぜ、スポーツなんだろう」「スポーツに何ができるのか」といった問いが生まれたことが「災害とスポーツ」に引き寄せられたきっかけです。

これは世界規模での新型コロナウイルス感染症の状況、いわゆるコロナ禍においても似た構図が見られるのではないかと考えています。新型コロナウイルスの感染が広がった2020年。これまでは未知のリスクに対して自粛という選択肢を取っていましたが、リスクについて正確な情報が得られつつある今では、多くの社会活動が再開してきています。そのなかで、スポーツがどんな活動を行い、社会の中でどう役割を果たしていくのか、というのが、これから私が考えていくことの1つです。また、コロナによってあらためてスポーツはどうあるべきかといった議論もますます深まっていくと思います。

 

――なるほど。では、コロナ禍における日本ラクロス界の動きについて、どのように見ていますか?

亀山:他のスポーツと一線を画す日本ラクロスの特徴といったものが、コロナ禍によって目に見える形で表れたというのが私の見解です。

そして、何といっても「学生主体のチーム運営」というのが大きな特徴だと思います。

スポーツ社会学の授業では伝統的な日本のスポーツ集団の特徴について取り上げることがあり、対比させる意味でラクロスの例を取り上げて話をしています。体育大生ということもあり、さまざまなスポーツ集団に属した経験をもっている受講生が多いのですが、その時に一番驚かれるのが「ほとんどの大学のラクロス部が、毎年、現役部員自らがコーチを決めている」ということなんですね。この考え方・制度そのものがラクロスの文化を象徴していると思います。

この学生主体(プレーヤーズファースト)という特徴は私たちが予期していなかったコロナ禍にあっても立ち向かっていこうとする向き合い方そのものに大きな影響を及ぼしています。今年の春の新入生勧誘の部分で各大学が行っていた創意工夫に非常によく表れていました。

ラクロスは、その多くが大学生からスタートするため「取り組んだことのないスポーツにどうやって興味をもってもらうのだろうか?」「どう勧誘するのか?」についても興味がありました。

部員に話を聞いたところ、ラクロスは横(大学間)のつながりもあり、他大学のラクロス部さんとも情報を共有しながら新歓活動に取り組んだようです。満足に大学生活を送ることができていない1年生に対して大学を知ってもらう機会をつくる、学内の他クラブと共同参画し新入生クラブ説明会を行う、といったように、今までにない取り組みが数多く生まれていき、結果、男女ともに20名前後の1年生が入部しました。

つまり、自分たちのクラブだけで自己完結できればよいのではなく、ラクロスに関わる人たちやスポーツでつながっている人達がどうやったら全体維持ができるのか、再び盛り上がれるのか、つながれるのかといった大切な事柄を事前に共有できていたと思うんです。

また、このように「与えられた環境に対してどう対応していくのか?」「何にチャレンジしたいのか?」といった問いとアクションは闇雲にできるものでありません。常日頃からインプットとアプトプットを同時に展開しているスポーツ活動だからこそ身につくものとも言えるのではないでしょうか。現在、日本の部活動は様々な課題を抱えていると言われていますが、このように学生主動のクラブ運営といった先駆的なモデルは、日本のスポーツ活動の在り方にも一石を投じるのではないかと思っています。

さらに、自分たちで新しいツールも活用しながら価値を創造し、目的を達成しようとする。それが先にあったうえで、協会がクラウドファンディングという形で支援をした。この順番は素晴らしいなと感じています。

コロナが発生した直後は様々なスポーツ団体が競技会を中止せざるを得ない状況に追い込まれ、話題となりました。その最たるものが東京オリンピック・パラリンピック2020の開催延期だったと思います。

ラクロスに関しては、協会が「大学リーグ戦の可能性を模索する」というスタンスを継続的に発信し続けたことこそが、私たちが希望を失わず現在に至っている理由だと思います。

前出した東日本大震災ではスポーツによる復興支援は「希望」や「勇気」といった言葉に置き換えられました。一方で、コロナ禍でのスポーツを言葉に置き換えるとしたら、それは「日常」だと思います。

イギリスでは新型コロナウイルス感染症の対策としてロックダウンを行いました。このような状況下であっても「1日30分程度の運動(近隣の公園で、密にならない条件)」は認められました。ロックダウン下であっても、感染対策をしたしっかりとした上で運動することやスポーツをすることは権利として認められ、私たちの暮らしになくてはならないものであるということがこの事例からよくわかると思います。

話を協会に戻しますが、このコロナ禍では「協会のあるべき姿」「協会の役割」といったものを見させていただいたように思います。ラクロス協会のホームページにも掲載された(6月30日)メッセージがとても記憶に残っています。

ラクロスは、私たちが充実した人生を送るために必要なものであると信じること」

スポーツは「日常」であるといった、大切な発信だったと思います。

そして、afterコロナのフェーズでは「ラクロス(スポーツ)は、私たちが充実した人生を送るために必要なものである」といった価値観こそが当たり前になっていてほしいです。

――「主体は学生である」という文化は、自分が学生だった頃から変わっていないです。いくつかの要因がありますが、日本にラクロスというスポーツが入ってきた経緯が最も大きく関係していると思っています。

35年ほど前に、関東の大学1年生の10人ほどの集団が「ラクロスという新しいスポーツをやってみたい」と思い立ち、アメリカ大使館を訪れ、米国ビジネスマンのノリオ・エンドー氏を紹介してもらいました。彼の母校が米国ジョンズ・ホプキンス大学で、大学のドン・ジマーマンHCのサポートのもと、日本にラクロスが伝わりました。そういった歴史があるため、「自分たちの遊び場は自分たちでつくる。だから楽しい」というフロンティア精神が強く根付いていますよね。

亀山:なるほど。カレッジスポーツとして日本国内に広がったラクロスだからこそ、その土台に「フロンティア精神」「自創」「共創」といった考え方が備わっているんですね。また、スポーツの語源となっているデポルターレの考え方にも通じるものがあることがわかりました。

学生ともラクロスの歴史や、これからどう広がっていくのかというような未来の話をすることがあるのですが、学生からは「もっと幅広い世代に広がってほしい」「競技人口が増えてほしい」というような声も聞きます。ただ私は、他のスポーツと異なる広がり方をしているラクロスだからこそ、今回のコロナ禍における学生の行動や対応が可能だったのでは、と考えています。ここまで自ら価値を生み出していく学生が多いスポーツは他にはないのではないか、と思えるくらいラクロスの魅力を感じています。

 

――では、ラクロスという競技については、どのように見ていますか?初めて見た時にはやはり驚きも多かったのではないですか?

亀山:部長になったばかりの頃は「球が速い」「男子のコンタクトが激しい」といった部分で衝撃を受けていましたが、ラクロスに関する知識を得ていくと見え方も変わっていきました。ラクロスの起源が、ネイティブアメリカンの部族同士の戦いや交渉の場面にあるという歴史的背景を知ってから、学生のプレーも違うように見えてきました。男子ラクロスをあらわす「史上最速の格闘球技」というキャッチフレーズも、ラクロスを知ってからだと、より心躍りますね。そういう意味では「魅せるスポーツ」といった表現ができるかもしれません。

 

――ラクロスはまず、競技性からしてかなり複雑な競技です。僕は二つ大きな要素があると思っていて、まずはポジションの種類が多く、それぞれに特徴と役割があること。これによって様々な身体能力に合わせた活躍の場が生まれます。そしてボールの動くスピードが走るスピードよりもずっと速いので、事前の予測や位置取り、つまりは戦術の重要度が高いんです。その分、初めて観る人にとっては何が起こっているか分かりにくくて、おもしろさが伝わりにくいんですよね。

亀山:630日に理事長から発表されたメッセージに代表される協会からの発信を見ていると、他のスポーツで見られるような、協会が決めたことをただ広めるトップダウン方式ではなく、理事の方々が各チームの部員と同じ目線で考えていることが伝わってきます。

――今年の630日に発表したラクロス協会のメッセージは、新型コロナウイルスへの対応としてスポーツ界の先駆けになったと考えています。

「ラクロス、そしてスポーツの価値を認めること」「新型コロナウイルスによるリスクを、自動車事故のリスクと同様に、許容できる可能性があるものとみなすということ」。この2つが主な内容ですが、これらも理事の間で自然と巻き起こった議論でした。もともと理事構成が多様で、地方の人間も多くオンラインコミュニケーションが以前から盛んだったため、コロナ禍においてもスピード感をもって円滑に議論することができました。今回こうしてラクロス協会が「ラクロスというスポーツの価値」を考えたことは、今後のいろいろな意思決定に影響していきそうだな、と思っています。

亀山:たしかに、いわゆる統括団体といった組織にありがちな頑なさや、意思決定の遅さはラクロス協会には無いように見えますね。

ラクロス協会では新型コロナウイルス発生当初から週に1回更新のペースで、協会見解がホームページを通じて共有されました。当初は、統括団体が自粛を決断するケースはほとんどなく、学内の他の競技の先生方からも「ラクロス協会」の対応について質問を頂いたこともありました。

協会のHPにも書かれていますが、理事には様々な経歴の方が就いていますよね。理事ご自身のお仕事の専門性を活かした「プロボノ」的な関わりがとても興味深いです。それぞれの専門領域があり、そのシナジーのようなものを感じます。どんな過程を経て各種の意思決定をしていますか?

 

――ラクロス協会は2018年に一般社団法人化し、理事の約3分の2が入れ替わりました。新任の理事を選出する際に重視されたのが「多様性を保つこと」で、性別・年齢・職業・出身大学といった点で偏りを無くし、なかにはラクロス経験者でない人も含まれています。僕自身はずっとIT企業の経営を仕事にしてきたので、主に戦略面や広報・マーケティングに携わることが多いのですが、他の方々もそれぞれの専門性や経験を生かした役割を担っていることが多いです。あと、30代前半でも登用される理事の平均年齢の若さもポイントだと思います。

亀山:この組織運営の在り方もラクロス協会の強みですね。

先日発表されたニールセンとのスポーツパートナーシップについて(https://www.lacrosse.gr.jp/news/13908/)も、見ている視点が違うなと感じました。他のスポーツではなかなか見ない事例で、とても先進的なイメージをもちました。

 

――「先進的なスポーツであること」は重要だと考えています。競技人口や市場規模といった数字では、メジャースポーツと比較した時に価値が薄れてしまうので、どういった方向性で存在感を発揮するかということは常に考えています。

競技人口が増えたりプロチームが生まれたりすることだけが重要ではありません。安易にスポーツ界全体の流れに乗るのではなく、協会やラクロスコミュニティ全体でよく検討し、進む方向性を定めていければと思っています。

亀山:お話をするなかで、これからのラクロス界がますます楽しみになりました。今日はありがとうございました。

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