Columnコラム

【WLWC26特別企画】【わたしがラクロスを始めた日 第3回】小林 千沙さん(NeO) | 環境が、人を作る


ラクロスを始めた日は誰にでもあります。2026年女子日本代表選手もそれは同じ。どんな始まりだったのか。そして、どうしてこれまでラクロスを続けることができたのか。3人の女子日本代表選手にお聞きしました(全3回)。

大会名:Nissin Foods 2026 World Lacrosse Women’s Championship

(日清食品 2026 WORLD LACROSSE 女子世界選手権大会)

大会日程:2026年7月24日〜2026年8月2日

開催地:日本・東京(秩父宮ラグビー場・大井ホッケー競技場)

日本ラクロス協会公式サイト2026年女子日本代表特設ページ / 日清食品 2026 WORLD LACROSSE女子世界選手権大会日本語版情報サイト

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第3回 小林千沙さん


小林千沙さんは、「日清食品2026WORLD LACROSSE女子世界選手権大会(以下、2026WC)」を含め2大会連続で女子日本代表選手として世界選手権大会に出場します。2014年にラクロスを始めて13年目。高校卒業前も、日本体育大学(以下、日体大)ラクロス部入部前も躍動感に溢れています。やりたいことへの素直さはどこから湧いてくるでしょうか。

日本体育大学は筆記試験で入学

「小さなころからスポーツをさせてもらえる環境があって、いろんなスポーツに関わってきたんですけど、高校を卒業したあとはどうするか何も決めていませんでした」。

小林さんが言う「小さなころからスポーツをさせてもらえる環境」というのは、ご両親が日体大卒というのも影響があるようです。お父様が硬式テニスのプロ選手で、お母様がバスケットボールの選手でした。

小林さんがそれまでにしてきたスポーツとは、お父様がされていたこともあり、4、5歳から始めた硬式テニスと、小学校で野球と陸上競技(中距離走)、中・高校でバスケットボールです。

高校卒業後はどうしようかと考えていたら、お母様から「あなたは昔から運動が好きだから、日体大へ行ってみたら」とアドバイスを受けました。

そうしよう、と筆記試験で日体大を目指し、無事に合格。

日体大に入学して、最初はトライアスロン部の体験会へ行ったそうです。

「でも、水泳がどうしても苦手で入部には至りませんでした」。

ラクロス体験会を経ずに入部

どの部活にはいろうかと思いあぐねていた小林さんに、またしてもお母様からのアシストパスがあります。

「YouTubeに世界を目指して頑張っている人がいるよ」とリンクが送られてきたのです。それは、山田幸代さんという日本代表を経験された選手が、オーストラリア代表に挑戦するという動画でした。

「山田幸代さんが、マイナースポーツであるラクロスを知ってもらいたいと活動していることや、日本のラクロスを強くするために自分がまず世界に挑戦するという情熱を持ちながら世界で戦っていることを知って、『これだ!』と思ったんです。あと、私の旧姓は山田なので、『山田千沙』と『山田幸代』さんと、名前も似ているなと思ったので、ラクロスをやろうって思いました」。

小林さんは、動画を見たその場で「日体大ラクロス部の入部式はいつあるのだろう」と検索し、今から2時間後に始まるということを知ります。

「私の家からだと日体大まで2時間ぐらいかかるので、急いでスーツを持って家を出ました。無事に着いたんですけど、体験会に行っていなかったので、『2時間前にYouTubeを見てラクロスを知り、やりたくなったんで来ました』と自己紹介しました」。

「やりたい」と思ったことに素直に動き、確実に手にする小林さん。この「十代の女の子」の躍動感は、物語としてとても心惹かれます。

硬式テニスを教える父親の影響で

全日本クラブ選手権大会でのNeO#24小林千沙さん(2025年12月13日)

現在、小林さんは、NeO(ネオ)という、これまで5回(2026年現在)も日本一に輝いたクラブチームで選手をしながら、日本代表活動、大学、高校・中学生へのコーチ経験に加え、小学生以下の子どもたち(以下、キッズ)にもコーチもするようになりました。

「小学生のころから、スポーツを通して人の成長に携わる仕事というか、経験を人生の中でしたいという思いはありました。両親の影響だと思います。二人とも教員で、スポーツを通じて人生を豊かにしていくっていうことを体現しているのを小さいころから見てきました。

父は、高校の部活動で硬式テニスを教えているのですが、その高校は進学校で練習時間が短いのに、全国大会で何回も優勝しているんです。しかも、硬式テニス未経験だった子たちが。

選手たちが、スポーツでワクワクする感覚を得て、それに対してのめり込んでいって、結果を出し、人生を豊かにするということに、自分もいつか携わりたいと思ってきました。スポーツはなんでもよかったんですが、私がたまたまラクロスにずっとハマってきているので、ラクロスのコーチをすることになりました」。

「コーチ」という形が見えてきたのは、大学卒業前にお父様から受けたアドバイスがきっかけでした。

「『大学院っていう道もあるよ』と言われました。日体大は、教員、警察官、消防士になる人が多いんですけど、大学院という道もあるんだと知って、コーチとラクロスの勉強をしようと思いました。その中で、母校の日体大に関わらせていただき、大学生、中・高生のコーチに加えて、最近は、ラクロス好きなキッズたちと少しずつ関わり始めたというところです」。

キッズたちのきっかけになりたい

キッズへのコーチはまだ始まったばかりですが、小林さん自身がキッズたちから得るものがあると言います。

「日の丸を背負い戦い、所属チームのNeOでも『NeOから世界へ』の理念に沿ってラクロスをしていく過程で気負いすぎて、目の前の勝負を楽しめなくなる時もありました。そんな時にキッズ選手たちが全力で無邪気にラクロスをしていると自然とパワーをもらえます」。

日本開催の2026WCをキッズたちにも見てもらいたいと小林さんは言います。

「私は大学2年生のとき(2016年)、前十字靭帯を切ってプレーができない時期があったんです。そのとき、前に進むきっかけをもらえたのが国際親善で観た女子日本代表 対ウィンスロップ(Winthrop)大学の試合でした。目の前にいる選手たちがキラキラして見えて、自分もああなりたいって思ったんです。日本代表になりたいというよりは、あんな風に上手にラクロスできたら楽しいだろうなっていうのが素直な気持ちでした。

2026WCでは、今度は自分が、キッズたちが希望を持つきっかけになりたいと思っているんです。勝っても負けても、自分のプレーが良くても悪くても、ちょっとでもきっかけになれたらいいなって思っています」。

「ディフェンスだけやる人」だったから

小林さんが日本代表に関わるようになったのは、大学3年生のときに、2017年度ラクロス女子22歳以下日本代表(以下、2017U22)選手として、APLUアジア・パシフィック選手権大会に出場してからです。

「前十字靭帯を切って手術のあと、リハビリをして(2016年)10月ぐらいに復帰したんですけど、そのころ、2017U22にはディフェンスがいなかったらしく、当時の日体大ヘッドコーチの杉本美歩さんが、2017U22アシスタントコーチの伊藤健人さんと丸山伸也さんに私を推薦してくださったみたいなんです。追加招集するための選考会にディフェンダーとして参加したのがきっかけでした」。

入部当初、アタック志望だった小林さんは、高校でバスケをしていたという理由で「ディフェンスだけをやる人」になりました。それが日本代表へ繋がっていったのです。

男子選手との練習

2026年女子日本代表の練習会での小林千沙さん

2022WCでは、小林さんはフルの女子日本代表となります。このときから、女子日本代表は、男子選手と練習を行うようになりました。

「男子選手は、速いし、重たいので、体の使い方から見直さないと手首が痛くなるし、全力で走っても追いつかないんです。だから、より細かいところにこだわるようになりました。体の使い方や走り方など、みんなで研究しながらやっていく過程はすごく楽しかったです。楽しかったというのは今だから言えるんですが、私は女子の中では体が大きい方なのに、男子相手だと通用しなくて、自分の武器が分からなくなったこともあります」。

2022WCは、17年ぶりに日本が5位に返り咲いた大会です。男子選手との練習が功を奏したのではないでしょうか。

「そうですね、世界の舞台で戦う時に体格や、走るスピードなど日本人でも劣っているとは感じませんでした。ただ4強、特にカナダとアメリカは別格でした」。

決勝トーナメント2回戦で、日本はアメリカに3対18で敗北します。

「アメリカは、フィジカル面、スティックワーク、戦術などがこれまでのチームとは全然違いました。

私はドローを上げるポジションなのですが、初めて見るドローの上げ方と取り方をしていて、自分が持っていたものを出し切ってもドローを取れず、何をしたらいいか分からなくなりました。

ディフェンスでも、自分たちがこれまでしてきた連動ディフェンスを出せている、自分たちは守れているとずっと思っていたのに、スコアボードを見たらダブルスコアになっていて、衝撃を受けました。

ボールダウンした後、ターンオーバーでディフェンスに戻るとき、アメリカの#4マリー・マクール(Marie McCool)選手を追いかけたのですが、追いつけなくて、背番号の『4』がどんどん小さくなって行きました」。

飛行機の往復チケットと最初の宿だけ

小林さんは、2022WCが終わったあと、「日本がメダル取るなら、4強を崩さないといけない」と2023年にアメリカに武者修行へ行くことを決断します。

「私は小さい頃から両親に『環境が人を作る』と言われていたので、もう環境に飛び込むしかないと思って、行きと帰りの飛行機チケットを買って、最初の宿だけ決めて、アメリカに行っちゃいました」。

アメリカは、90日間以内であればビザが不要で、小林さんはNeOのチームメイト・多賀麻文さんと二人で、その期間、余すところなくラクロスの試合や練習をして帰ってきます。

「最初は、サンディエゴに行きました。サンディエゴで男子2023WCが開催されていたので、そこに行けば誰かしら女子の選手がいるだろうと思ったんです。そしたら、やっぱりいて、『いつどこで練習やるから来なよ』と情報をもらえました。そこから、すべてのプランが繋がってきました」。

サンディエゴで開催される地元の大会に出場するなど、予め決めてきたことがあったものの、現地の方々が「日本人が練習できる場所と宿を探している」と情報を繋げてくれたお陰で、小林さんと多賀さんはアメリカ合衆国を軽やかに横断していきます。

「サンディエゴの後は、ニューヨークに移動し、ニューヨークを拠点にロングアイランド(ラクロスが盛んな地域)へ行ったり、ニュージャージー州に電車で2時間かけて行ったり、メリーランド州の大会に出場したりして、最後はノース・カロライナ州へ行って日本へ帰ってきました」。

最初の宿しか取っていなかった小林さんと多賀さんですが、移動した先々ではどうされていたのでしょうか。

「日本にいるときから、アメリカ人選手のSNSにDMを送っていたので、そこから『日本人がラクロスできる場所と宿を探している』とラクロス関係者に連絡が回って、なんと公益社団法人日本ラクロス協会理事長の佐々木裕介さんのところにも連絡が回ったんです。佐々木さんのおかげで、メリーランド州ではドン・ジマーマン(Don Zimmerman)さんの家に一ヶ月以上泊めていただいたり、ニューヨークでは、岩本海介さんの友人宅に泊めてもらえたりしました」。

ドン・ジマーマンさんというのは、ジョンズ・ホプキンス大学のヘッドコーチだった1987年に初めて日本に来て、佐々木さんを始めとする日本ラクロス創設メンバーにラクロスを教えてくださるなど、日本ラクロスの発展に影響を与えられた方です。

岩本海介さんとは、日本人として初めて米国プロリーグの試合に出場した選手で、そのご友人であり元ラクロスプレーヤーのご自宅に泊めてもらったそうなのです。

そんな大物たちの家に泊めてもらい、ラクロス三昧の日々を二人は過ごしてきたのです。

関連ページ:
Don Zimmermanさんより日本ラクロスへメッセージ
ラクロス界の日本人メジャーリーガー達

アメリカ代表12番のアリー・マストロヤンニ選手

小林さんは、多くの人の力を借りてアメリカを横断するなか、2022WCのときにアメリカ代表で背番号12番をつけていたアリー・マストロヤンニ(Ally Mastroianni)選手にも会います。

「私はアリーをロールモデルにしていて、アメリカでは是非とも会って、ドローなど教えてもらいたかったんです。それで連絡したら会ってくれました。

アリーは、メリーランドの女子プロリーグの選手なんですけど、プロリーグの試合に誘ってくれたり、練習も一緒にしてくれたり、本当に優しかった。

私は、もともとコーチングも学んでいたので、アリーにアメリカの子たちがどのようにコーチを受けているのか見せてもらったり、高校での選考の様子も見せてもらったりしました。

高校での選考は、大学から来た40人くらいのコーチが高校生を選考するんです。なんかもう、アメリカってすごいな、って思いました」。

ラクロスの盛り上がり具合は州によって違うものの、小林さんが行ったメリーランド州では、庭にラクロスのリバウンダーがあったり、ゴールがあったりラクロスがものすごく身近なものだったそうです。

一番大事なことは壁当てと走ること

日清食品presents第32回国際親善試合での小林千沙さん(#6)

日本との「環境」の違いで言うと、「ラクロススキルの言語化」があると小林さんは指摘します。

「キッズの練習会を見学したり、自分が実際にクリニックを受けたりしたなかで、大事にしている理論は変わらないと感じました。そこからラクロススキルの個性が出ている印象です」。

小林さんはもう一つアメリカで得た大事なものがあると言います。

「何人ものアメリカ人に『一番大事にしているものは何?』と聞いたんですが、みんな『壁当てと走ること』と答えるんです。え、そんな初歩的なこと? って思うようなことを言われて衝撃的でした。でも、確かに、めちゃくちゃ走るんですよ、あの人たち。練習する・しないのメリハリもすごい。だから、練習のベースと、基礎スキルのベースを小さい頃から知っているんだなぁと思いました」。

壁当てと走ること。みなさん、メモしましたか。「これならできそうだ」と思えるところをするかしないかが分かれ道なのかもしれません。

小林さんがアメリカ武者修行へ行ったのは2023年。もう3年前の出来事ですが、その経験は小林さんのなかで熟成されているはずです。2026WCでは4強相手にどんなプレーが出るのか楽しみで仕方がありません。

みなさんも是非、2026WC会場へ足を運んで、小林さんを、2026年女子日本代表を応援してみませんか。

【プロフィール】

小林千沙(こばやし ちさ) #6 MF

≪日本代表選手歴≫

2017年度 22歳以下女子日本代表

2022年度 女子日本代表

2025年度 SIXES女子日本代表

2026年度 女子日本代表

≪選手歴≫

2015年〜2019年 日本体育大学

2019年〜現在 NeO

Photo by 日本ラクロス協会広報部 海藤秀満・小保方智行

Text by 日本ラクロス協会広報部 岡村由紀子

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